かこいい。

「まかでみックス ふぃふす」を精読。

以下、ラブコメもののラノベの感想とは思えない言葉がつらつらと並びます。


何というか。間章がかっこよすぎる。

「人間は死ぬ。
 知性を持ってしまった人間は、しかしあまりに短い寿命と、世界の全てを知るにはあまりに鈍重な思考のせいで、知性が知性として完結することは叶わず――そうであるが故に必要以上に自らの知性の散逸を意味する『死』を恐れる。
 だが一方で、知性は自己欺瞞の能力も持つ。
 死を避け得ない以上は、その恐怖を和らげる方法、言い訳を人間は常に考えてきた。
 その根本――そこにあるのは、『幸せ』と言う概念である。
 『幸せ』と言う言葉で括ることによって、人間は、自分自身に条件反射を仕込む。『満足な死に様』等はその際たるもので、死んでも構わないくらいの幸せ、死んでも後悔ないくらいの満足――そういうものを仮に設定しておいて、物語や宗教、その他諸々のもので反復し強調して、人間は条件反射を仕込む。
 であるならば、人間にとっての知性の目指す究極とは、むしろ翻ってその『幸福』と言う概念そのものではないのか?

 そして、では、その虚構を扱う『榊一郎』は何を目指すべきか?

 すなわち。

『幸せ』と言う概念の分析と、再構築」

立ち回りや風貌から榊一郎本人のアバターとして扱われているSKの口から語られるこの論理を=そのまま榊一郎のスタンスと断定するのはちょっと乱暴かもしれませんが。

えらくラノベ作家が大きく出たもんだと。ハッタリにしてもすげえよ。自分の仕事を人間の知性の根本にまでこじつけやがった。そしてあながちその論理が間違ってると言い切れないだけに余計に始末が悪い。

あと、ふと思ったんだけど、「イノセンス」時点での押井守の対になる立ち位置のような気もする。

ニヒリスティックで虚無的な物言いだけど、でもこの榊一郎の論理には知性に対する愛着がある。

押井守は知性が行き過ぎてこんがらがって、知性以前の「肉感」に幸せを求めようとしたけど。榊一郎は逆に知性を諦めてない。

だって、こんなことを書きながら、榊一郎は現役で、第一線でその虚構を書いてるんだもん。くだらなくて面白い、そんな、歴史に残すようなことを全然考えてないような小説をもう大量生産してる。これもう人間愛の自己表明じゃん。「読んでる人を幸せにしたいから本を書いてる」って言ってるようなものじゃん。

この表明は、だからかっこよすぎる。

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